★水引「そうきち」情報ブログ
「飯田水引の祖 元結職人」桜井文七 (270回忌)供養祭
■飯田水引協同組合は、令和4年9月23日 秋分の日
「飯田水引の祖 元結職人」桜井文七 (270回忌)・1753年(宝暦3年)72歳亡
「美濃から来飯し製造方法を伝授した紙漉き職人」稲垣幸八 (266回忌)1757年(宝暦7年)78歳亡
両人の地場産業の礎を築いた功績をたたえると共に業界の発展への決意を新たにし、供養祭を菩提寺の長昌寺(飯田市箕瀬町)で営みました。
1682年(天和2年)尾張に生まれた文七は上質な和紙を求めて来飯し製法の改良に尽力し
白く細い丈夫な元結を作った。江戸に出店し販路を拡大したことにより「文七元結」というブランドとして全国に知れ渡る。後に飯田へ戻り後進を育て 1753年(宝暦3年)72歳で他界しました。
・地場産業として息づく水引の礎を築いた立役者として二人の功績を偲び、 毎年この日に供養する祭事を行なっています。
■飯田水引協同組合は、令和3年9月23日 秋分の日
「飯田水引の祖 元結職人」桜井文七 (269回忌)・「美濃から来飯し製造方法を伝授した紙漉き職人」稲垣幸八 (265回忌) 両人の供養祭を菩提寺の長昌寺(飯田市箕瀬町)で営んだ。
1682年(天和2年)尾張に生まれた文七は上質な和紙を求めて来飯し製法の改良に尽力し
白く細い丈夫な元結を作った。江戸に出店し販路を拡大したことにより「文七元結」というブランドとして全国に知れ渡る。後に飯田へ戻り後進を育て 1753年(宝暦3年)72歳で他界した。
・地場産業として息づく水引の礎を築いた立役者として二人の功績を偲び、 毎年この日に供養する祭事を行なっている。
・祭事の会場である長昌寺の墓碑向かい側には、この時に合わせてか水引に似た長い糸状の 花序に数多くの小さな紅白の花「ミズヒキソウ」が咲いていました。
- 2022.11.01
- 16:48
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